2012年4月21日土曜日

2号機ベントデタラメ説明?

原発の話とは関係ありませんが「ニーサの利用方法」を書いて見ました。お金の話です。
 http://takanosunotama.blogspot.jp/2014/06/blog-post.html


「いわゆるベント」をすると言った時
ベント弁を開きそして逃がし安全弁を開くことを意味します。
そして原子炉にポンプで水を送って冷やすことができるのです。

ベント弁と逃がし安全弁を開くには「直流電源」と「圧縮空気」が必要です。
中間報告を読むと、「直流電源」だけではなく「圧縮空気」も失われたことが見え隠れします。
「圧縮空気」が無いとベントはできません。
原子力安全・保安院、電力会社、専門家は「圧縮空気」が失われたことを隠して、原発を再稼働させようとしています。
安全対策をしないままに再稼働しようとしているのです。

2号機も3号機のように圧縮空気を送るIA配管が圧縮空気を送れなかったようです。
中間報告は、原子力安全・保安院と東電の打ち合わせ資料がベースになっているようです。

(中間報告で問題になった点は「東電」から「原子力安全・保安院」を通して、中間報告に回答されるようです。「東電」と「原子力安全・保安院」が打ち合わせて回答しているようなものです。)

中間報告は多くの矛盾点や無茶苦茶な経緯があり、全てが事実とはとても思えません。

中間報告を読むと、2号機は
1310 15 分頃から、ベント弁はあけられていました。
(事実かどうか知りませんが・・)
あとは「逃がし安全弁」を開いて格納容器の圧力が高くなりラプチャーディスクが壊れて、「いわゆるベント」が完成します。

そもそも、ラプチャーディスクの下にある弁Aは閉まっていることが前提に中間報告がなされています。
何故、閉まっていたのかの説明はありません。


資料は
です。

P208
(6)2 号機の原子炉格納容器ベントライン構成作業の状況
13 8 10 分頃、原子炉格納容器ベント弁(MO弁)を手動で25%開とした。
1310 15 分頃、
既設の空気ボンベからS/C ベント弁(AO弁)大弁に空気圧を供給するため、2 号機R/B1 階に立ち入り、IA 系配管脇に備え置かれていた空気ボンベの出口弁を開ける操作をした。 
1/2 号中央制御室において、仮設照明用小型発電機の電源を用いて、IA 系配管にある電磁弁を強制的に励磁して開状態とすることにより、S/C ベント弁(AO 弁)の開操作を実施した。 
ベント弁は空気ボンベで開けられたことになります。もちろんここでベントしてもよいのですが、まだ原子炉隔離時冷却系は動いています。
ベントする時期ではないと判断してもよいでしょう。
********
2013/1/29
この判断は誤りです。
原子炉隔離時冷却系は何時止まるか分かりません。
すぐにでもベントをするべきでした。
********
・・・・
少し気になるので指摘しておきます。
小型発電機は明らかに交流電源です。
P200
2号機及び3号機の原子炉格納容器ベントラインにあるS/Cベント弁(AO弁)大弁は、駆動用の空気圧を送るIA 系配管にある電磁弁をバッテリーで励磁して開けるとともに、AO 弁に空気圧を送って開操作する必要があった。」
とあります。
小型発電機では電磁弁は開けられないのです。
バッテリーが無ければ、S/Cベント弁は開きません。
開けたのは事実でしょう。つまり
バッテリーはあった。と考えられます。
バッテリーがありますから、逃がし安全弁も開きます。
だから、ベントをして原子炉を冷やそうとしたのです。
 逃がし安全弁が開かなければメルトダウンやメルトスルーは防げません。

13 18 20 分頃及び同日22 10 分頃コンプレッサーの調達を依頼した。
14 1 50 分過ぎ頃、可搬式コンプレッサーが届けられた。
143 時頃、IA 系空気貯槽近くに設置し、IA 系配管に接続して起動させた。 
何をしているのかわかりません。コンプレッサーのテストでしょうか?
空気ボンベのほうが安定して圧縮空気を送りベント弁を開けていられるのですが・・? 

**ベントには関係ないのですが・・次は電源復旧作業の冗談話です。
P210
(7)電源復旧作業状況
3 12 日夕方頃、4 号機T/B1 階の電気品室にあるP/C(480V)  D 系統(以下「4D」という。)が使用可能であることを確認
3号機R/B内のMCC100V) D系統に仮設ケーブルを接続して480V 電流を通すことにより、SLC 系、原子炉格納容器ベント弁、直流設備の充電盤等の復旧を目指すことにした。
13 14 45 分頃、3 号機R/B 内は、放射線量が高く(当時、APD の数値から建屋内は300mSv/h 程度と推定していた。)作業に時間を要した。
300×24×3652628000mSv/年 こんな所で作業できるのか?
一般人の許容放射線量は1mSv/年です。
結局、同月14 4 8 分頃にようやく、3 号機の原子炉格納容器雰囲気モニ
タ系(CAMS)及び4 号機SFP 水温計の電源が復旧した。
480Vで動くホウ酸水注入SLC系や整流器を動作させるために作業していたはずですが・・・いつの間にか100Vの機器用になっている印象です。
100Vの3相電源なんて聞いたことがありません。単相でしょう。
480Vは動力電源で3相と考えるべきです。
単相のMCC(100V)に3相のP/C(480V)をつなげるなんて、層配線を工夫すればできないことではないのかも知れませんが・・

低圧の電源車でもつなげて、モニタや水温度計の電源を復旧させたのでしょう。
低圧の動力用の電源車は配備されているのだろうな?これがあればSLC系や整流器を動かせたはずですが・・・

1 号機及び2 号機のSLC 系等の電源を復旧するため、3 13 8 30 分頃、2C に接続した高圧電源車の再起動を試みたが、過電流リレーが動作したためケーブル損傷が判明し、結局、送電できなかった。
??
過電流リレーが働いたのに何故ケーブルが破損するのでしょうか?
(リレ―は機器やケーブルを守る為にあります)
1号機爆発前は電気屋らしく接地テストしていました。(P163
あからさまな嘘です。作り話です。
******
2013/1/29
私の勘違いでした。
しかし、ケーブルの損傷理由が示されていません。
原子炉隔離時冷却系の停止など、肝心の理由が示されない報告です。
******

3 号機については、電源復旧によってSLC 系ポンプを起動させてSLC 系注水を実施することはなかった。
結局、電源が復旧したのか分かりません。
結局、1 号機から3 号機にSLC 系又はCRD 系を利用するには至らなかった。
P213
(8)水素ガス爆発対策に関する検討状況
―省略― 
水素に火がついてあんな爆発はおこしません。
ヒンデンブルク号の火災のほうが、水素の分圧は高く(100hPa以上1000hPa以下)単純に比較はできませんが・・・
以下はwikipediaにあるヒンデンブルク号爆発事故のニュース映像です。 
ニュース映像 ←クリックして下さい
爆発は初めだけで、後は火災です。
窒素70%酸素30%の大気中で水素による爆発はこの程度が限界だと思います。
次のSFPは使用済み核燃料プールのことです。
これも水が無くなるとメルトダウンを起こすとんでもないもので・・
最近、なんとかしようと考えているようですが・・・
どうするのかは知りません。
P215
(9)SFP の冷却に関する検討状況
―省略―
P217
3 号機R/B 爆発後、2 号機S/C 圧力低下及び4 号機R/B 爆発まで(3 14 11 1 分頃から同月15 6 10 分頃までの間)
(1)1 号機から3 号機までの原子炉への代替注水状況
3 号機R/B 爆発直後の代替注水ライン損傷状況
 ―省略―
2 号機のプラント状況
3 14 12 時頃以降、原子炉水位の低下が顕著になった。
12 4 時頃、2 号機のRCIC の水源をS/C に切り替えており、S/C の水温、圧力が上昇の一途をたどったものと考えられる。
14 12 時頃以降、2 号機の原子炉水位は、低下傾向であった
1412 30 分頃には、S/C 水温149.3℃、S/C 圧力0.486MPa abs と高い数値を示した。
1413 25 分頃にRCIC が停止したものと判断した。
停止した原因は究明しなければなりません。それが安全対策です。
P219
2 号機及び3 号機の代替注水ライン復旧作業状況
① ―省略―
② ―省略―
1416 30 分頃になって消防車を起動させた72

2 号機のSR 弁の電源については、
13 13 10 分頃、バッテリーをSR 弁制御盤につなぎ込んでいた。
1419 57 分頃になってようやく連続注水が可能になった。
3 号機については、1416 30 分頃、消防車を用いたFP 系注水ラインが完成し、消防車を起動させて、原子炉への注水を開始した。
P219
2 号機への代替注水に関する福島第一原発、東京電力本店及び官邸の対応
3 14 12 時頃以降、
爆発は141101分です。
爆発で中央制御室の回路(電源線?)が外れベント弁が閉じたそうです。
RCIC の機能喪失が明らかとなったため、早期に消防車を用いたFP 系注水を実施する必要があった。
注水するには、SR 弁を開けて原子炉減圧操作を実施する必要があった。
ベント弁が開いていれば逃がし安全弁を開いてベントが完成します。
そして、消防車による注水で原子炉を冷やせばよかった訳です。
連続注水ができたのは1957分ですが、その前に逃がし安全弁を開いておくべきでした。
しかし、ベント弁が閉じ逃がし安全弁SRを開けられなくなりました。
その理由が以下です。
しかし、SR 弁を開けて原子炉を減圧した場合、S/C の圧力、温度が更に上昇することによるS/C の破損が懸念された。
そこで、原子炉格納容器ベントラインを完成させた上で、原子炉を減圧し、海水注入を行うように指示した。
内容は「直流電源」と「圧縮空気」を使ってベント弁を開け、「逃がし安全弁」を開けてベントを完成させ、海水注入するよう所長が指示しました。
これならラプチャーディスクが破れ圧力抑制室(トーラス)S/Cの破損はありません。

②―省略―
③ ―所略―
④ ところで、原子炉格納容器ベントラインは、3 13 日に一旦完成していたが、14 11 1 分頃に3 号機R/B で爆発が起こった影響により、S/C ベント弁(AO 弁)大弁に空気圧を送るIA 系配管にある電磁弁を励磁するために用いる回路が外れ、S/C ベント弁(AO 弁)大弁が閉状態となっていた。
3号機の爆発で2号機の回路が影響を受けると思えません。外れたのは自動車のバッテリを利用するために臨時につけられた中央制御室の回路です。

1416 時頃、発電所対策本部復旧班は、電磁弁励磁用回路を復旧した上、発電所外から調達した可搬式コンプレッサーを用いてS/C ベント弁(AO 弁)大弁の開操作を実施したが、空気圧不足等が原因で、すぐには開状態にならなかった。
励磁用回路の実物は2号機原子炉建屋にあります。
実物に命令信号を出す回路は中央制御室にあります。
両方とも電磁弁励磁用回路です。
中間報告では、今のところどちらの回路かわかりません。
爆発の影響で外れたのなら、中央制御室の回路ですが、
復旧時刻(1416時)からすると原子炉建屋の回路です。
回路復旧に時間がかかり過ぎているからです。

ところで
P208
1310 15 分頃、
既設の空気ボンベからS/C ベント弁(AO弁)大弁に空気圧を供給するため、2 号機R/B1 階に立ち入り、IA 系配管脇に備え置かれていた空気ボンベの出口弁を開ける操作をした。」
とあります。

IA配管系の空気は抜け、ボンベの空気もなくなっていたと言うことらしです。

ベント弁を開けて、爆発でベント弁が閉じたのは
Tukuri Banasi To Omou

そのため、同日16 時から同日16 30 分にかけての頃、発電所対策本部復旧班は、発電所対策本部に対し、S/C ベント弁(AO 弁)大弁の開操作がうまくいかず、作業完了に時間を要する見込みであると報告した。
コンプレッサーでAO弁を開くには時間がかかると言うことらしい。
地震でIA配管系が壊れ、思うようにS/Cベント弁(AO弁)に圧縮空気を送れず開かなかったと思います。
発電所対策本部及び本店対策本部は、再度、原子炉格納容器ベントと減圧、代替注水に関する作業手順を検討することになった。
清水社長は、原子炉格納容器ベントラインが完成するまで減圧・注水を待つことはできないと判断し、ベントラインの完成を待たずに減圧・注水作業を行うように指示した。
格納容器が壊れないか心配ですが、逃がし安全弁SRを開いて原子炉圧力容器を減圧して注水しようと思ったのかもしれません。実際に壊れましたが・・・
2 号機原子炉の減圧・注水作業に取り掛かるとともに、ベントを実施するために必要な準備作業も引き続き同時並行で実施するように指示した。
3 14 16 34 分頃、1/2 号中央制御室において、バッテリーを接続して、SR 弁の電磁弁を強制励磁して減圧操作を開始したが、すぐに SR 弁を開くことができなかった。
やはり圧縮空気がなかったのですね。IA配管系は壊れてコンプレッサーも役に立たなくなっていたと思います。「逃がし安全弁」が開かない圧縮空気では「ベント弁」は開きません。
19 3 分頃 原子炉圧力計が0.630MPa gage になって、注水可能な程度まで減圧することができた。
グラフから
燃料棒は16時頃からころから水の上に顔を出していますからメルトダウンが始まったと考えられます。

減圧することができたのではなく

「メルトスルーが起きて 減圧した」 と

考えるのが自然です。・・・
メルトスルーなら上がり方は鈍いとは思いますが・・
グラフはドライウェルの圧力上昇が遅いです。??
圧力抑制室S/Cの圧力も上がってもよさそうですが
・・不思議な値を示しています。
S/Cの計器が壊れたのかもしれません。

*****
2013/1/29
原因は分かりませんが・・
圧力抑制室(S/C)に穴が開いたと考えるのが合理的です。
どうしてこんな所に穴があくのか?
不思議ですが、穴が開いたのは事実です。
格納容器と圧力抑制室の不自然は圧力変化は格納容器と圧力抑制室の間を閉じたためかもしれません。
*****

2 号機の原子炉水位は、
18 22 分頃、TAF-3,700mm
3m70㎝燃料棒が顔を出しています。TAFのあとにはこんなカンジでマイナス記号があるのです。

18 50 分頃にはダウンスケールにより計測不能
官邸やERC も、このような状況について、随時報告を受けていた。
その頃、2 号機原子炉への注水が可能となった
19 20 分頃、消防車の燃料切れが確認された。
19 57 分頃
2 号機原子炉への連続注水が開始された。少なくとも作動停止確認後の37 分間、2 号機原子炉への注水は全くなされず、その間も炉心損傷が相当程度進行したものと考えられる。
P223 
2 号機については、3 14 19 57 分頃、連続注水を開始してからも、繰り返し、原子炉圧力が上昇して注水できなくなった。
2 号機の原子炉圧力
14 20 54 分頃から同日21 18分頃
1422 50 分頃から同日23 40 分頃
15 日零時16分頃から1 11 分頃
1MPa gage を超えており
これらの間は、2 号機の原子炉圧力が消防ポンプの吐出圧力を上回り、2 号機原子炉への注水がなされなかった可能性が高かった。
―省略― 
省略した部分に、何度も減圧作業をしたと書いてありますが、逃がし安全弁に圧縮空気が入らず開かなかったことを意味します。開けば原子炉圧力は減圧し、圧力抑制室S/Cの圧力は上がるわけですから・・
ベントラインは完成しなかったようです。
1 号機への代替注水実施状況
―省略―
f 問題点の指摘(2 号機代替注水の準備・実施上の問題点)
―省略―
P228 
(2)2 号機の原子炉格納容器ベント実施状況
3 14 11 1 分頃に3 号機R/B爆発後、現場確認等で作業がしばらく中断していた。
1412 50 分頃、爆発の影響で、1/2 中央制御室に備え付けていた、2
機のS/C ベント弁(AO 弁)大弁の電磁弁励磁用回路が外れS/C ベント弁(AO
弁)大弁が閉となったことが確認された。
そのため、S/C ベント弁(AO 弁)大弁の電磁弁を励磁し、可搬式コンプレッ
サーで空気圧を送り、S/C ベント弁(AO 弁)大弁を開として、再度原子炉格納
容器ベントラインを構築する必要があった。

3つわからないことがあります。
P208
1310 15 分頃、
既設の空気ボンベからS/C ベント弁(AO弁)大弁に空気圧を供給するため、2 号機R/B1 階に立ち入り、IA 系配管脇に備え置かれていた空気ボンベの出口弁を開ける操作をした。」
となっています。
1つめは
「空気ボンベがあるのに、何故コンプレッサーなのか?」
です。

2つめはちょっと説明が必要です。
中間報告によると
2号機は3号機爆発前の
1411時まで、何時でもベントはできた状態でした。
つまり、ベント→逃がし安全弁の順でベントをしました。
結局失敗だったのですが・・・
逃がし安全弁を開いて減圧する=注水をすることを決めた時にベントすべきだったのです。

2つめは、
「ベントできたのに何故ベントしなかったのか?」
です。

3つめは
1412 50 分頃に励磁用回路が外れたのがわかったのに
応急処置で着けた励磁用回路ですので、たいした故障ではありません。
P220
1416 時頃、発電所対策本部復旧班は、電磁弁励磁用回路を復旧した上、発電所外から調達した可搬式コンプレッサーを用いてS/C ベント弁(AO 弁)大弁の開操作を実施したが、空気圧不足等が原因で、すぐには開状態にならなかった。」
何故3時間もかかってから大弁の開操作実施になったか?
です。

3つ疑問から想像すると

IA配管系が壊れて圧縮空気が漏れて、ボンベもコンプレッサーも役にたたなかったのだと思います。
直流電源が回復してもベントはできなかったのです。

IA配管系が健全ならボンベの圧縮空気で数週間以上、圧力抑制S/Cベント弁は閉じないと思います。

日本の原発は全てオンボロ原発だと思います。